価値観工房

テーマに沿って思いついたことを書いていこうと思ってます。
グローバル化という言葉をよく聞きますが、この言葉の本質は英語の取得だけでなく、多様な価値観を受け入れ新たな価値観の創造だという考え方があります。
私とともに新たな価値観を作ってみませんか?

4日目 何もないと言うタイトル

何もないところからの議論が始まる。今日はそんな日です。しかしながら、「なにもない」というテーマがすでに与えられてしまったということをお気づきでしょか?例えるなら白色クレヨンを使うようなものです。白い画用紙に白色クレヨンで色を塗る。ここから、この行為自体には二つの結果というより影響もしくはその両方の結果が影響として残ることになります。

一つは白色画用紙のままの部分と白いクレヨンの部分とから生まれる差異による影響です。俗に言う「違いのわかる男なら」間違いなくこの行為による影響を受けるだろう。それは、「違いのわかる」と言うキャッチフレーズが付加されているのが理由である。しかし、この違い分からない人や無視できる状況は多い。

ところで、二つ目は白いクレヨンを塗ったところにほかの色を塗ったときの影響である。これは大抵の人なら、と言うより大抵のクレヨンなら影響をきちんと受けるだろう。上塗り用に塗ったクレヨンを塗った時の感覚や色は明らかに異なって見える。

この例えから今日の「何もない」がテーマであるので少し考えて一つは何もないところを作った時、それは本当に何もないのかということである。答えは考えるでもなく否である。発見されている全ての事象には名称がある。という前提を作る。例えば、数学上何もないを名称化した「0」があり、「零」かあり、「無」かある。空気のない状態は真空と呼ばれているが、真空中での実験が可能である状況、例えば光の速度測定の時のような場合や重力が全ての物質にはたらいているようにこの前提は私の知る限りでは有効そうだ。確かに名称の付いていない事象も存在するだろうが、「それを考えないようにしてみよう」この文章こそ恐れなければ、ならないものである。重要なのはとことん考えて調べて突き詰めることである。この前提自体、名称の存在しない事象を調べるのは困難そうだが、「それを考えないようにしよう」とは一種の洗脳テンプレートでもある。考えるだけでも、もちろん解は導かれないだろうが、前提条件にこそ考えなければなら、ならないことは多いのかもしれない。例えば、背理法などは合致するのだろう。また、テンプレートの例えとしては「また明日!」がそうだ。